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仙台から戻ってきた。

今シリーズの殆どは、『睡眠』と『通院』に尽きた。



まずは『睡眠』。

とにかく毎日眠かった。

知り合いの方の貴重な時間を奪ってまで眠ってしまったこともあった。

大体実家に居るときは、オリンピックを観賞しながらうとうとしてしまっていた。

んが、ソフトボールで言えば6回ウラとか、陸上で言えば男子400㍍リレー決勝直前になってきちんと目が覚めた。


そこら辺は才能だと思う。
どうだ。




『通院』。

交通事故に遭ったがために、仙台に戻ってまで、ほぼ毎日爺さん婆さんしか通わない病院に足繁く通った。

しかも、膝が包帯負けし、東京に居たときよりもどんどん悪化した。
どんどん痛くなったため、父親に車を借りてまで通う始末だった。

後から聞いた話では、「タクシー代」も保険の範囲内らしい。
クソッ。


しかも傷口がやけに臭くて、博多天神の替え玉を注文した際に、お好みで追加するだしスープの匂いに擬似する臭さに、毎夜悩ましげに眉間に皺を寄せた。




『通院』はこれだけには止まらなかった。



ここからの話は、未だ実母だけにしか打ち明けておらず、あまりにも恥ずかしいため口外するのを躊躇っていた。

んが、自分の中で消化しきれなくなったがために、勝手に告白したいと思う。
打ち明けて良いのか悪いのかのラインは解らないが、勝手に告白したいと思う。




23年の人生で、初めて泌尿器科という未知空間に足を踏み入れた。

お粗末なマイシンボルが、真っ赤に腫れ上がったからでR。



仙台にゆく前から、若干の症状は出始めていた。

仙台にいってから、症状は悪化した。
歩くのも辛いほどに。




泌尿器科で自分の名前を呼ばれるまで、とてもドキドキした。

利用したこともないフィリピン系のヘルスのことまで想像が及んで、「性病」という単語が頭を過ぎった。

待合室には僕ぐらいの年代の人間は全くおらず、隣に座っていたおじさんは、ひたすら「ED治療」についてのパンフレットを熟読していた。

それはそれで、物凄い空間を共にしており、貴重な経験であるとも感じられた。



名前を呼ばれ、診察室に入る。

先生らしき人に症状を説明する。


んが、この「説明」が難を要するのだ。


要は、マイシンボルのことを医学的な名称を使って言葉巧みに伝えなくてはならないのか、
それとも、普段後輩と呑んでいるときに連呼するふしだらな名称を使ってフランクに伝えた方が良いのか、ということでR。

「病院」、ましてや「泌尿器科」という専門性というポイントを踏まえて、僕は前者を選択した。


僕は必死に説明した。
だが、今振り返れば与えなくても良い情報まで伝えてしまったと思う。

とにかく必死だったのだ。



ある程度説明が済めば、流れは自然と「診察」に移る。
それが病院だろう。

診察台に腰掛け、カーテンが閉められた。


「じゃあズボンとパンツを脱いで下さい」

先生は言った。
やはりそうなのか。


覚悟を決め、僕はズボンとパンツを一気にずり下ろした。
先生にとっては何百人もを相手にこの行為を目の当たりにしてきたのだろうが、相手となる僕としてはやはり必死だ。



カーテンを開けた先生は、両手にエンボス手袋をはめ、マイシンボルを躊躇なく握りまじまじと見つめた上で

「あぁ、そうですか」

と一言遺した。


パンツ、ズボンを履くことを許され、カーテンが開き、先生から診断結果を告げられる。

「単なる細菌感染」と聞き、一気に力が抜けた。

性病とは全く関係がない模様。
その前に、性病に犯される根拠が無いのだが。


処方された抗生物質を飲んだだけで、次の日には腫れが引いた。


病院は凄いなと感じた。


ついでに、事故診療では味わえない「3割負担」の素晴らしさも肌で感じた。





誰が読んでくださっているのかは解らないが、とにかく報せずにはいられずにこういう方法を選んだ。

とにかく伝えないのは罪だと思った。













今年の僕の夏は、真剣そのものだった。
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